Ord River Irrigation Scheme
オード川灌漑計画
オード川を利用して、かつては無人だった広大なキンバリー地域の大部分を灌漑する計画で、莫大な費用がかかったために論争を引き起こした。
オード川流域は、雨季になると45,000平方キロメートルが冠水にする、世界でも最大級の洪水地帯であった。川の灌漑潜在能力は、1939年にファイフの王立調査委員会によって確認され、日本の攻撃は灌漑計画の推進に政治的動機を与えた。計画の実行可能性調査によって、西オーストラリア政府は確信を持ち、1959年の連邦政府の援助の決定によって、第1段階のカナナラ貯水ダムの建設は容易になった。このダムは1963年に灌漑を開始し、1972年には第2段階のオーストラリア最大の人工湖を持つオード川ダムが完成した。これによってKings in Grass Castleで有名なドュラック家が所有していたアーガイル牧場が湖底に沈んだを含むものであった。
水力発電と、さらなる灌漑地域の拡大が計画されたが、主力であった綿花栽培に経費がかかりすぎることと、殺虫剤に効果が見られないこと、生産性と品質が落ち込んだことによって、1974年に計画は中止になった。亜鉛が欠乏していたので米の収穫は期待できず、ピーナツの収穫量は不安定だった。ベニバナの品質は低く、小麦と砂糖の栽培は商業的に成り立たなかった。政府の報告書であるAn Outline of the Ord Irrigation Project(1979)とOrd River Irrigation Area Review:1978(1979)は、この歴史を示している。B.R.デイヴィドソンは著書The Northern Myth(1972)のなかで、オード計画では政策が経済よりも優先していると批判し、スーザン・グラハム=テイラーはLessons from the Ord(1982)のなかで、調査は手遅れで、計画は競合する政府団体によって妨害されたと論じた。
1980年代の初めまでに、35の農場がモロコシ、大豆、米、トウモロコシ、バナナ、ヒマワリ、牧草などで商業利益をあげた。しかし、デイヴィドソンは、1億ドルの補助金が支払われたことを考えれば、政府が農家に生活費だけを支給して、オード川がそのまま海に流れるようにしておいた方が、安上がりであったろうと論じた。
山口典子・藤川隆男0103