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OBU
ワン・ビッグ・ユニオン
OBU運動は、1915年に始まり、世界産業労働者同盟(the Industrial Workers of the World: IWW)の計画に基づいたものであった。当初、運動は、メルボルンにおいて最も強かったが、1917年からはいくつかの拠点が力をもつようになった。1917年のロシア革命とオーストラリアにおけるゼネストの失敗は、OBUに勢いを与えた。
IWWの戦闘的な姿勢を取りこんだOBUは、労働組合による政府の樹立をもくろんでいた。その計画は、伝統的な職能別労働組合に取って代わるために、建築、運輸、農水産業、製造業、公務員と公益事業、そして鉱業という6つのカテゴリーの組合設立を唱えていた。
1918年後半から1919年前半にかけて、OBUの活動がピークに達したとき、労働党と労働運動の一部はこれに反対した。運動は、より好戦的な組合員を引きつけ続けたが、1923年までには勢力を失っていった。
オーストラリア労働者組合AWUは、自らが独占的な組合になろうとしていたため、OBUと対立した。結局、オーストラリア労働組合評議会(the Australian Council of Trade Unions: ACTU)が、労働組合運動を一体化することになるが、その現状遵守の姿勢は、過激なOBUからはかけ離れていた。
浅野敬一 01