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Oatlands
オウトランズ、オートランズ
タスマニア中東部、ホバートの北84キロに位置する。
人口:539(1996)、545(1981)、739(1911)、673(1881)。
名前はマクウォリー総督が故郷スコットランドのオート麦畑を思い、1821年にこう名づけた。ヨーロッパ人の入植以前はLairmairrenerと呼ばれるアボリジナルの居住地であった。ヨーロッパ人が1804年までに探検を行い、マクウォリーは1811年にここを通過した。ジョージ・タウンとホバートを結ぶ1837年に完成する道路上の4つの軍事駐屯地のうちの1つに選ばれた。町は1821年に、駐屯地は1825年から区画された。アーサー副総督は1827年に町の設立を命じた。囚人労働により1829年に裁判所が建設された。1830年にタスマニアのアボリジナルに対する、アーサーが命じたブラック・ラインの本部が置かれた。また1832年に軍配給所と衛兵所が建てられた。町の急速な成長は1830年代の間続いたが、その後は停滞し、予定された町の80キロの道路のうち多くは不要となった。レイク・フレデリック・イン(ホワイト・ホース・イン)は1834年に、キャリントン製粉所は1836年に建てられた。聖ピーターズ教会は1836年から1846年に、タウン・ホールは1881年にそれぞれ建設された。鉄道は1885年に開通した。
西川俊紀0110