Northern Territory
ノーザンテリトリー、ノーザンテリトリ
オーストラリアのこの地域は、もともとオランダ船アルンヘムが1623年にオーストラリア北部を探検して以降、アーネムランドと名づけられていた。20年ばかり後に、エイバル・タズマンもこの地域を訪れた。1803年にはマシュー・フリンダーズがオーストラリア周辺の海図作成を目的とする航海でここを訪れた。この地域での最初のイギリスの植民は、1824年のフォート・ダンダス(メルヴィル島)から始まった。フランス人の入植の恐れがあったので囚人の一団が急派されたのである。さらに1827年にはラフルズ・ベイ、1838年にはポート・エシングトンにも軍事入植地が設けられたが、1849年までに全て放棄された。
ノーザンテリトリーはニューサウスウェールズの統治下から、1863年に南オーストラリアの統治下に入った。1864年から67年のエスケイプ・クリフス植民は失敗するかに思われたが、69年には測量長官ジョージ・ゴイダーがパーマストン(現在のダーウィン)の周辺27万ヘクタールの測量を行い、恒久的な入植地の確立につながった。パーマストンは、1872年に大陸横断の電信線が開通すると、その重要な連結部となった。その頃ここで金が発見されると、植民は拡大し始めた。さらに、この地が牧畜業に適した環境であることがわかると、多くの牧畜家が流入した。
ダーウィンという名の町がパーマストンに取って代わった1911年に、この地域は連邦へと譲渡された。連邦政府の行政はダーウィンを中心として行われた。ただし、1926年から31年の間、この地域は中央オーストラリアと北部オーストラリアに分割され、中央オーストラリアの行政はアリス・スプリングズから行われた。 1922年この地域は連邦議会へ代表を送ることができるようになったが、投票権は持たなかった。 1947年には立法評議会が創設され、78年には他の州と同様の自治権を得た。
見国祐也00