New Zealand
ニュージーランド
太平洋の南に位置し、北島と南島、ならびに数多くの小さな島からなる国。最初の住民はポリネシア人。ニュージーランドを訪れた初期のヨーロッパの探検家にはエイバル・タズマン(1642)、ジェームズ・クック(1769-70、73、77)、フランス人の冒険家ジャン・ドゥ・シュヴィーユ(1769)、マーリーアン・デュ・フレインMarian du Fresne(1772)がいる。アザラシ、鯨、木材、亜麻を探していたヨーロッパ人は1790年代から来訪してきた。宣教師、特にサミュエル・マーズデンは1814年から訪れ始め、1830年代後半までにニュージーランドにはおそらく約2,000人のヨーロッパ人が入植した。イギリスの外交官、ジェームズ・バズビーJames Busbyが到着したのは1833年である。エドワード・ギボン・ウェイクフィールドらによって1839年に設立されたニュージーランド会社は、1840年代から入植地を作り始めた。ニュージーランドは、1840年から41年の間、短期間ではあるがニューサウスウェールズ植民地に属していた。ニュージーランドの初代副総督、ウィリアム・ホブスンWillam Hobsonは、1840年1月に到着し、同年2月に北島でマオリ諸部族との間にワイタンギ条約に調印して、正式にニュージーランドはイギリスに併合された。1841年にはホブスンが初代総督に就任し、ニュージーランドはニューサウスウェールズと別個のイギリス植民地であることが宣言された。1852年に自治政府、56年に責任政府を獲得し、1907年に自治領(ドミニオン)のステイタスを得た。ニュージーランドは、肥沃な土地と温暖な気候を活かして発展する。19世紀末から20世紀初頭には、オーストラリア連邦結成に関する会議の多くにニュージーランドは参加した。しかし、ニュージーランドは結局オーストラリア連邦には加わらなかった。第1次世界大戦におけるアンザック軍団の活躍が評価されたが、2つの世界大戦の頃には、むしろイギリスとのつながりを重視する動きが主流になる。第2次世界大戦後イギリスの影響力が弱まると、イギリスやオーストラリアの影響を無視した歴史叙述がなされるようになるが、1960年代から研究者の世代交代が進み、現在では南洋州全体の中でのニュージーランドの位置づけと、アイデンティティの確立が試みられている。1947年にはウェストミンスター憲章を批准し、現在も英連邦の一員である。51年にはオーストラリア、アメリカとアンザス条約(太平洋安全保障条約)を結んだが、核兵器保有船の入港を拒否する84年の決定の結果、条約は一時事実上の停止となった。現在は移民や貿易の自由化や社会福祉政策の連携などで、オーストラリアとの経済的統合が進んでいる。
左近幸村0401