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New Italy
ニュー・イタリア
ニューサウスウェールズ北部のリッチモンド川沿いにあるウッドバーンWoodburn近辺の、イタリア人による入植地の一般的名称。
1881年4月7日、217人のイタリア人移民がにシドニーにたどり着いた。彼らはフランス人ドゥ・レイ De Rays の誇大な宣伝を信用してニュー・アイルランドへ入植したが失敗し、オーストラリアにやってきた。植民地政府は彼らを分散させて居住させ、英語と植民地の習俗に同化しようとした。それでも彼らはお互いに連絡を取り続け、グラーフトン地域に集まってニュー・イタリアとして知られるようになる入植地を設立した。当時はすべての教育が英語で行われ、教室内でイタリア語を話すことが禁じられていたが、1884年に専属の教師のいる学校が設立された。1885年には53の農場があり、1898年になると232人の人口を抱えるようになった。しかし、イタリア人コミュニティーは規模が十分でなく、教育システムを通じた政府の同化政策は、コミュニティーを出て教育を受ける子供たちに影響を与えた。20世紀に入って、若い世代は新たな土地を得て流出し、入植当初からの高齢者も寿命が尽き始めたので、ニュー・イタリアの人口は減少した。入植地には1955年まで人が住んでいたが、人口が回復することは無かった。現在では周辺地域は茂みに埋まり、イタリア人入植地の痕跡は消え去っている。
石光崇昭1101