オーストラリア辞典
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Newcastle

ニューカッスル、ニューカスル


ニューサウスウェールズ中東部、シドニーの北156キロ、自動車で1時間強のところに位置する。
人口:270,324(1996)、258,972(1981)、104,485(1933)、54,991(1901)、8,986(1881)、704(1836)。


 地名はイングランドの炭鉱都市にちなんで名づけられる。かつては先住民のアワバカルAwabakalやWorimiの居住地であった。1770年にジェームズ・クックがハンター川の河口の島ノビーズ・ヘッズNobbys Headsを確認した。1797年、ジョン・ショートランドがハンター川に至り、石炭がその河岸にあったことからコール川「石炭川」と名づけられた。1798年から石炭はシドニーで売られ、翌年にはベンガルに試験輸出が行われた。1801年に石炭採掘のための囚人キャンプ、キングズ・タウンが作られるが、1802年に放棄され、1804年に再流刑地としての入植から本格的な発展が始まる。

 1816年、現存するオーストラリア最古の公立学校、イースト・ニューカッスル・パブリック・スクールが設立される。1822年から1823年にヘンリー・ダンガーにより町の測量が行われ、囚人入植地はさらに北のポート・マクウォリーに移された。1829年には、オーストラリア農業会社に石炭採掘の独占権が与えられ、1831年までには輸出が始まった。1843年には評議会が設置された。その後は1847年にシティの資格が与えられた。1847年に石炭採掘会社が増加し、農業会社のオーストラリア独占は終わる。1847年にはストックトン船会社の設立により、造船業も始まった。1857年にメイトランドへの鉄道が開通した。1860年にシドニーへの電信が開通。1866年からガスの供給が始まる。1869年にクライスト・チャーチ・カテドラルの建築が始まった。この頃までにこうして、工業都市、石炭の生産地としての地位が確立された。1871年に多くの郊外都市が自治体となった。税関の建物はジェームズ・バーネットによってデザインされ、1876年から1877年に建てられた。1877年にはキャリントン水力発電所が建設され、波止場のクレーンの稼動に利用された。1887年にトラムが開通し、1889年にシドニーとの鉄道が開通する。1915年にBHPが製鉄業を始め、浮きドックが1925年に作られた。シティー・ホールが1929年に建設される。重工業を中心とする産業構造であったので、大恐慌の時代にオーストラリアで最も高い失業率を経験した。1937年、大ニューカッスル法が成立し、翌年、多くの自治体が統合された。第2次世界大戦中は日本軍の攻撃を受けた。1950年には路面電車が廃止され、バスに移行した。1951年から大学が設立され、1965年にニューカッスル大学となった。鉄鋼業は町の主要産業であったが、1997年にBHPは鉄鋼関連事業の大部分の活動を停止することを表明した。

 真水晃・藤川隆男0303