Native Police
先住民警察
オーストラリアの先住民警察はブラック・ポリスBlack Policeとしても知られていたアボリジナルの警察隊である。アボリジナルの警察隊は19世紀にオーストラリアのいくつかの地域で活動したが、一般的には植民地警察隊に雇われていた個別の追跡者black trackerとは区別される。この警察隊は白人の指揮官と先住民の騎兵巡査から編成されていた。クィーンズランドでは通常100-200人から構成され、主に白人入植地のフロンティアをパトロールしていた。
先住民警察のもっとも初期のものは、ポートフィリップ先住民保護区において1830年代末から1842年にかけて導入されたものであり、1852年まで存続した。先住民警察の創設の目的は、アボリジナルが有する生活圏に関する深い知識と経験を利用すること、彼らを文明化することであった。
メルボルンでは1842-53年の間に活動し、その模様はMarie Felsの Good Men and True(1988)などに描かれている。警察隊の制服と騎乗機会による特権は新兵補充の際に魅力的であり、彼らの多くは一族の長であった。メルボルンにおける警察隊は他の先住民警察のような残忍な活動は行わなかったとされている。また1870年代にネッド・ケリーとその一味を逮捕するために再編成された。
先住民警察がニューサウスウェールズに導入されたのは1848年であり、主に北部地域(現在のクィーンズランド)で活動していた。この警察隊はアボリジナルに対して残虐行為を行ったことで有名であり、いくつかの大虐殺にも関与していた。クィーンズランドが1859年に個別の植民地となった後も、このシステムは受け継がれた。そして主に白人の入植を妨害するアボリジナルを攻撃するために1900年まで存続した。
南オーストラリア植民地では1852-56年の間に活動しており、1884年にはノーザンテリトリーにも創設された。この警察隊も残虐行為で有名であり、ついには武装解除させられ、追跡にのみ利用された。西オーストラリア植民地では武装追跡者は使用されたが、アボリジナルの警察隊は組織されなかった。
菅原潤哉00