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nationalism in sport
スポーツ・ナショナリズム
オーストラリアでは、スポーツ、とりわけクリケットがナショナリズムの形成・発展において果たした役割は小さくない。クリケットのオーストラリア統合チーム(オーストラリアン・イレヴン)の結成は1877年に遡る。翌1878年、イギリスに遠征したオーストラリア・チームは、国を代表するチームの対戦でイギリス・チームに初めて勝利する。母国に勝つことで、植民地人はアングロ・サクソン文化の共有者としての帝国意識と同時に、オーストラリアの団結というナショナルな意識を強めたと考えられる。クリケットやラグビーの国際試合を意味するテスト・マッチという言葉が最初に用いられたのは、1884年に行われたイギリス対オーストラリアのクリケットの試合であり、「テスト」にはオーストラリアの力を試すという意味合いがある。
クリケット・ナショナリズムが政治ナショナリズムに与えたインスピレーションは少なくない。例えば、1880年代にチームの帽子やブレザーにつけられたエミュとカンガルーの紋章は、後にオーストラリア連邦の紋章として採用されている。また1892年にオーストラリア・クリケット評議会が結成されており、コモンウェルスが誕生する9年前に、オーストラリアはクリケットの連邦をすでに実現している。クリケット・ナショナリズムは連邦成立後も続き、1930年代のテスト・マッチは、当時の経済状況ともあいまって、イギリスに対するオーストラリア国民の感情を極度に悪化させ、外交問題にまで発展している。しかし、第2次世界大戦以降、イギリスに代わってアメリカの影響が大きくなるとともにクリケットとナショナリズムとの結合は相対的に弱まっていった。
宮崎章00