Loading
National Coal Strike
ナショナル炭鉱ストライキ
1949年に起こった大労働争議。
第2次世界大戦後の、オーストラリアの労働運動は、共産党の影響力を強く受けていた。1949年6月から8月にかけて行われたこの炭鉱労働者の争議においても、主な原因は共産主義の影響であったといえる。ストライキの直接のきっかけは、その年に炭鉱労働組合によって出された、週35時間労働と賃上げの要求であった。ストライキが6月27日に始まり、2日後には連邦政府が国家非常事態法案を出し、組合費の凍結を図った。ストライキで交通は麻痺、光熱も利用できなくなり、工業生産が停止し始めると、ニューサウスウェールズのみならず他の州でもその影響が大きくなり、社会不安が広がった。連邦政府のストライキに対する強硬な姿勢は、国民の支持を得るようになり、共産党の影響力が弱い組合も政府の支持にまわった。組合費を拠出しなかった容疑でストライキ指導者の何人かが拘束された。組合側は非常事態法を廃し、彼らの組合費を取り戻そうとしたが、政府は複数の露天掘りの鉱山を再開させ、8月には軍隊を送り込んで再稼動させた。
8月中旬にストライキは終わった。組合側は、戦う相手は鉱山所有者ではなく、国家を相手に戦っていたのだと認識せざるを得なかった。またこのストライキは労働組合内の戦闘的共産主義者の影響力を減じるきっかけとなった。
安井倫子00