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Murray Bridge
マリー・ブリッジ
南オーストラリア南東部、アデレイドの東南東78キロに位置する。
人口:12,831(1996)、12,740(1991)、8,740(1976)、3,690(1947)、1,255(1911)、502(1901)。
1850年に入植したヨーロッパ人の名にちなんでエドワーズ・クロスィングEdward's Crossingと呼ばれていたが、のちにモウビロングMobilongと呼ばれるようになった。白人の入植以前は、先住民Narrinyeriが居住していた。1830年にチャールズ・スタートがマリー川を下り、現在のマリー・ブリッジを通過し、河口にまで到達した。1854年、プレアミンナPreaminna銅山が開かれた。1866年に村が建設され、1879年にはマリー川に架かる橋がオープンした。この頃から、町の名称は一般にはマリー・ブリッジとして知られるようになったが、1924年まで正式な名称はモウビロングであった。1886年にアデレイド=メルボルン間の鉄道が町を通って建設され、1924年にはマリー川にかかる鉄道用の橋が建設された。この年、地方自治体として公示され、マリー・ブリッジとなった。また1970年にはチーズ工場が建設された。1973年、町の北西にあるモナートウMonartoに新しい町を作る計画が持ち上がり、25万人の住民を抱える計画で19万ヘクタールの土地が用意された。しかし、政治的、経済的な問題に直面し、1976年までにこの計画は放棄された。町の中には19世紀建築の多くの公共の建物が残り、1879年に完成した鉄橋は、ナショナル・トラストの指定を受けている。
藤岡真樹・藤川隆男0403