Moreton Bay Settlement
モートン・ベイ・セツルメント、モートン・ベイ入植地、モートンベイ植民地
シドニーの北1,000キロ、ブリスベン川の河口に位置する湾の入植地。1770年にジェームズ・クックによって発見され、モートン伯爵にちなんで湾は名づけられた。この地域の入植は、植民地で再び犯罪を犯した囚人を収容する施設がさらに必要であるという、1822年のビッグ報告書の提案に始まる。1823年オクスリーによる調査の後、1824年に海岸地帯のレッドクリフ・ポイントRedcliffe Point地域に入植地が置かれていた。しかし、永続的な入植地として、現在のブリスベンにあたる場所が選ばれ、当時のニューサウスウェールズ総督にちなんで、ここがブリスベンと名づけられた。最初は30人程度の囚人が送られただけであったが、1826年に囚人が200人程度になった頃に、パトリック・ローガンが入植地の指揮官に就任した。彼は、囚人に非常に厳しい仕事を課す一方で、熱心な探検家でもあった。しかし、1830年にブリスベン近郊を調査している時に、アボリジナルに殺された。
モートン・ベイへの流刑は、囚人が減少し、収容所が閉鎖される1839年頃まで続いた。それまでは、一般人の入植は禁止されていたが、ブリスベンの都市としての開発の動きもあって、1842年に正式に一般人の入植が認められた。1843年以降、モートン・ベイは、モートン・ベイ地区Moreton Bay Districtとしてニューサウスウェールズの一部であったが、1850年代にはニューサウスウェールズからの分離の動きが広まっていった。それは、シドニーから遠いことと、スクオッターの勢力の拡大があったためである。そして、1859年に、人口約20,000人の新たな植民地クィーンズランドが成立した。
新村祐規00