オーストラリア辞典
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Mildura

ミルドューラ


ヴィクトリア北西部、メルボルンの北西560キロ、マリー川の河岸に位置する。
人口:24,142(1996)、15,763(1981)、10,972(1954)、4,608(1911)、1,248(1891)。


 ミルドューラとは、アボリジナルの言語で「赤い土地」、「痛い眼」という意味であるとされているが、確認はされていない。もとはKeraminあるいはKureinjiのアボリジナルの居住地であった。1830年に、チャールズ・スタートがここを通過し、1847年には後のミルドューラ牧場をジャミソン兄弟が開設した。1880年代になると、アルフレッド・ディーキンはアメリカからチャフィー兄弟を招き、灌漑計画に着手した。1887年にマリー川から最初の灌漑用水が引かれ、1891年に初めてワインが作られた。この年までに3,000人以上が入植し、輸送の問題からドライフルーツの生産が始まった。また、河港としても重要な港になった。1903年にはメルボルンからの鉄道が開通した。この町は禁酒入植地として設立され、初めて酒を売る店が現れたのは1906年である。ホテルがオープンしたのは1918年の住民投票後のことであった。

 1920年にバラになり、ウィリアム・チャフィーが市長に就任した。1922年にはタウン、1934年にはシティへと発展し、第1次世界大戦後には復員軍人の入植が進められた。また、ジャック・ド・ギャリスによって知名度キャンペーンが考案され、この地域はサンレーシアSunraysiaとして知られるようになった。スペイン風邪さえプロモーションに利用された。"I fear no more the dreaded flu, For Sunraysed fruits will see me through"がその宣伝文句である。1960年にはNASAの研究に参加し、気球発射基地が設立された。

 現在では豪州のドライフルーツの80%、柑橘類の15%を生産し、ヴィクトリア州のワインになるブドウの85%を生産している。町はリゾート地としても発展しており、レイク・マンゴウへの観光の拠点であり、また多くの観光施設もある。

 新林秀亮・藤川隆男0403