Methodist Church
メソジスト教会、メソディスト教会
最初にオーストラリアへメソジスト派を広めたのは、1815年にシドニーに到着したサミュエル・リーSamuel Leigh師である。1812年に到着したトマス・ボウダンなど、それより以前にもメソジスト派の信者は存在していたが、広く教えが広まるようになったのは彼が来てからのことである。熱心な国教会信者であったラクラン・マクウォリー総督は、その宗派の発展に難色を示していたが、リー師の巧みな手腕により、植民地政府もメソジスト派を奨励するようになった。
1821年までにシドニーに2つ、カースルレイCastlereaghに1つの教会を持つまでに成長し、ヴァンディーメンズランドにも定着した。1830年代まで宗派の規模は比較的小さいものであったが、自由移民の数が激増することにより、また1836年の教会法で政府からの援助を受けられるようになったことにより、規模は拡大していった。
1855年にイギリス本国の母体から独立した、オーストラレイジアン・ウェズレイアン・メソジスト・コネクションthe Australasian Wesleyan Methodist Connectionが発足し、教会の運営はオーストラリアの教会会議、オーストラレイジアン・カンファレンスにより決定された。オーストラリアはポリネシアや南太平洋地域のメソジスト教布教の中心地となった。1870年代中頃にオーストラレイジアン・カンファレンスがジェネラル・カンファレンスとなり3年に1回開催されるようになり、また各植民地でも年1回会議が行われるようになった。
イギリスのメソジスト教の様々な分派がオーストラリアにも伝わり、本家のウェズリー派以外にも様々な宗派が存在した。1902年にこれらが統合され、1つの団体となった。その当時の人口の約10%もの人々が信者であるほどまでになったが、後年その割合は徐々に減少する。1977年にオーストラリア・ユナイティング・チャーチthe Uniting Church in Australiaとして統合された。
師井学00