Melba, Nellie
メルバ、ネリィ(ネリー、ネリ)
1861-1931
リッチモンド、メルボルン生まれ。
オペラ歌手。
19世紀末から今世紀の前半にかけて、ヨーロッパ各都市とオーストラリアとを舞台に活躍した女性オペラ歌手。
1861年、建築家の家庭に生まれ、音楽に造詣の深い両親のもとに育つ。1879年からはメルボルンのプレスビタリアン女学校で、ピエトロ・チェッチPietro Cecchiの指導のもと、ピアノと歌唱に対する関心と本格的な才能とを育ててゆく。1882年に21歳でクィーンズランドの砂糖プランテーションの支配人であった、チャールズ・フレデリック・ネスビット・アームストロングと結婚し一児をもうけるも、この結婚は結局長続きしなかった。
すでに歌手としての経験をオーストラリアで重ねてきたメルバは、1886年、オペラ歌手としてのより大きな成功を志して、25歳でヨーロッパに渡る。パリでマルチェジ夫人Madame Marchesiに師事したメルバは、夫人の下で本格的な歌唱レッスンを受ける。彼女の才能を見込んで、その指導に惜しみない努力をささげたマルチェジ夫人を母親のように慕ったメルバは、後年、「夫人だけが私のただ1人の先生でした」と繰り返し語っている。このパリでメルバは夫人によって、グノーやドリーヴといった当代の高名な作曲家たちに引き合わされてもいる。そして1887年、メルバはいよいよブリュッセルにおける「リゴレット」の舞台で、ヨーロッパにおけるオペラ・デヴューを果たし、続いて1889年にはロンドンのコヴェント・ガーデンで、「ロメオとジュリエット」の舞台に立ち、大成功を収めている。以後彼女は、ロンドン、パリをはじめ、ニューヨークほか、ヨーロッパ各都市の数々の舞台でオペラ歌手としての経験を重ねてゆき、ついには、当時もっともよく知られた実力派歌手としての輝かしい名誉を手にするまでにいたった。
母国オーストラリアでの活躍も見落とすことができない。1902年から1903年まで、彼女はオーストラリア巡回のツアーを行う。そして1909年以降は、ヨーロッパとオーストラリアとを交互に行き来しながら、歌手生活を送ることになる。祖国オーストラリアにおける、オペラ歌手としてのメルバの重要な関わりの例として、メルボルンのコンセルヴァトワールにおいて献身的に後進の若手歌手たちの指導に当たったことがあげられる。
オーストラリアとヨーロッパにおけるメルバの芸術家としての、そして教育者としての功績が称えられて、1918年には大英帝国からDameの称号を、そして1927年にはDame Grand Cross of the Order of the British Empire(大英帝国女性第1級勲功章)の地位を与えられている。
メルバは引退公演とされるコンサートを何度か行っている。彼女のコヴェントガーデンにおける最後の公演は1926年に行われ、翌1927年にはキャンベラで国会の開会に際して歌っている。オーストラリアにおける彼女の最後の講演となったのは、その翌年のコンサートであった。1931年、シドニーにて没した。
平野孝展00