Marble Bar
マーブル・バー
西オーストラリア中西部ピルバラ地方、パースの北1,476キロ、クーンガン川Coongan Riverの河岸に位置する。
人口:318(1996)、357(1981)、83(1933)、244(1911)。
この都市の名前は、初期のヨーロッパ人の入植者が、川を横切っていた赤と白の縞模様の堆積岩を大理石と誤認したことに由来する。この地域は、以前はNyamalのアボリジナルの土地であった。1891年に砂金が大量に発見されると町は急成長し、人口は5,000人に達した。2年後、町は公式にタウンとして公示された。また同時に、ピルバラの牧畜家にとっての重要な市場となった。1894-95年に政府関連オフィスが建設され、ピルバラ地方の行政の中心になった。これらの建物はナショナル・トラストの指定を受けており、現在も町で最も美しい建築物である。
1913年にポート・ヘドランドへの鉄道が開通したが、1951年には閉鎖された。1936年に町から約8キロ離れた場所でコメット金鉱が発見され、1955年まで操業を続けた。それに付属する工場は後に銅とアスベスト加工処理の中心的役割を担い、1968年まで町に電力を供給した。その後、金鉱は1970年代後半に再び操業を開始した。この他、銅やスズも採掘されていた。現在は博物館となり、観光客用にみやげ物を販売している。
マーブル・バーは極端に高い気温でよく知られており、1923-24年の夏期には61日連続して37.8度以上の気温を記録した。夏の気温は25.8-40.8度であり、冬の気温は11.4-26.7度である。また、平均降水量は334ミリである。現在も鉱山と肉牛の生産地として知られている。
新林秀亮・藤川隆男0403