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Manus Island
マナス島、マヌス島
アドミラルティ諸島の1つの島で、ニューギニアの約300キロ北、赤道の南に位置する。太平洋におけるドイツ領土処分の一部として、第1次世界大戦後はオーストラリアの国際連盟委任統治領であった。1942年に日本によって占領されたが、1944年のアメリカ軍による日本軍駆逐の後、アメリカ軍は島を要塞化した。
戦後、島が太平洋防衛戦略の一部となる可能性がオーストラリアとアメリカとの間で議論された。アメリカは、オーストラリアが島を要塞化した状態で維持しつつ、太平洋における広域防衛システムの一環としてアメリカの利用が認められることを望んだ。アメリカの中には、オーストラリアが必要とされるコストを支払うかどうかに関わらず、島の保持を要求する者もあった。ワシントン政府はしかし、主に財政上の理由から、要塞化されたマナス島に対する責任を拒絶した。オーストラリアは島をアメリカとの交渉材料として利用しようと試みた。オーストラリアは、自国の参加なしにアメリカに島を保持させることを好まず、他方、単独で島を維持することもできなかったので、太平洋における広域的な防衛条約を得ることを期待して決定を遅らせた。その期待は1951年のANZUS条約の枠組みの中で初めて実現したが、アメリカ軍はマナスから撤退し、オーストラリアは小規模な兵力で島の占領を続けた。
1950年、戦争犯罪人の法廷がこの島で開廷され、クィーンズランドの最高裁判事、B.K.タウンリTownleyを裁判長として、92人の日本人が裁かれた。5人が死刑を宣告され、多くが釈放されたが、残る者は数年から終身刑までの判決を受けた。
片平建史・藤川隆男0403