Lowe, Robert
ロウ、ロバート
1811-1892
ノッティンガムシア、イングランド生まれ。
政治家。
オーストラリアにいた8年間に、政治家、ジャーナリスト、雄弁家として当時の政治に大きな影響を与えた。
1811年にノッティンガムのビンガムBinghamに生まれる。オクスフォードを卒業し、ロンドンで法律家として活動していたが、アルビノとして生まれ目が不自由であったため、1842年により良い環境を求めてニューサウスウェールズへ渡った。1843年に総督ギップスの推薦により、立法評議会の議員に選ばれた。法律家としての収入を確保し、安定した生活を得ると、牧羊業者への課税をめぐり総督と対立した。1844年にはニューサウスウェールズ牧羊業協会the Pastoral Association of New South Walesに参加し、総督と対立するようになった。立法評議会では世俗的国民教育の確立を要求したが、総督はこれを拒否した。評議会議員を辞任すると、支持者である大規模牧羊業者の支援のもとに週刊新聞『アトラス』Atlasを創刊した。ところが、今度は牧羊業者と対立するようになり、1847年に新聞から手を引いた。この間1845年に、立法評議会に任命ではなく選挙により選出されている。大牧羊業者との対立後、ロウはシドニーの急進派の支持を受けるようになり、1848年にはヘンリー・パークスらの努力により、シドニーの選挙区で当選した。その後、流刑再開反対運動では、その指導者として活躍した。しかし、ロウは「階級立法」や普通選挙には反対しており、その急進的な支持者と彼の考え方の間の隔たりは大きく、1849年にロウが帰国の意志を表明した時、これを残念だと思う支持者は多くはなかった。
1850年にイングランドに戻ると、1852年に下院議員となり、1868年にはグラッドストン自由党内閣に大蔵大臣として入閣した。この間、第2次選挙法改正案やオーストラリア自治法案に反対している。1880年には、シャーブルック子爵の称号を与えられ、貴族院議員となった。
新村祐規0901