オーストラリア辞典
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Lithgow

リスゴウ(リスゴー)


ニューサウスウェールズ中東部の都市、シドニーの西154キロに位置する。
人口:11,441(1996)、12,793(1981)、15,128(1951)、6,991(1911)、2,112(1881)。


 地名は、ウィリアム・ヒュームによって初代会計検査院長官ウィリアム・リスゴウにちなんでつけられた。白人の入植以前は、ウィラージューリーまたはダルグのアボリジナルの居住地であった。1824年に地域最初の土地無償交付が行われ、1837年に製粉所が建てられた。ポール・ストレズレキーにより、1839年に含金硫化鉱が、また1841年には炭坑が発見される。1842年にエクスバンク・ハウスが建てられ、1845年にはコブ・アンド・コウの馬車中継所であるベル・エイヴォンが建てられた。1869年に町の東方の断層崖にグレイト・ジグザグが完成し、鉄道が開通する。 グレイト・ジグザグは、当時世界中で工学技術の奇跡と讃えられ、10基のトンネルが完成する1910年まで利用された。近年、観光路線として一部が再び運行されている。鉄道開通の後を追って、採炭が始まった。1876年から1889年の間に石炭産出高は急速に増大し、1901年までに7つの炭鉱が操業した。石炭生産の拡大とともに、鉄鉱石の採掘と鉄鋼の生産も拡大し、20世紀初めまでは、リスゴウはニューサウスウェールズの主要な工学都市になった。1875年に設立されたエクスバンク製鉄所で、鉄鉱石が加工処理された。1894年にはオーストラリア最初のトタン板・波板製造工場が設立され、1900年にオーストラリア最初の平炉鋼が生産された。1907年に最初の溶鉱炉が建てられ、1913年には2基目が完成する。1917年に製鋼所と圧延工場が拡張されるが、1928から1930年にかけて、製鉄・製鋼業はポート・ケンブラに移った。これはニューカッスルに製鉄所を建設したBHPに対抗するためであった。石炭、鉄鋼業以外としては、陶器製造所がオープンしている。1889年までには4つの煉瓦工場が操業していたが、1908年には閉鎖された。11873年に牧羊業者兼貿易商人のT.S.モートが食肉処理冷凍工場を設立する。1905から1922年にかけてコモンウェルス・オイル会社がオイル・シェルの採掘を試みるが失敗に終わった。1912年に小火器製造工場が建てられる。1889年に自治体、1945年にシティとなる。1977年にブランクスランド郡と合併し大リスゴウ・シティとなった。第2次世界大戦後は、火力発電所の設立によって石炭の需要が増大し、石炭採掘が拡大したが、1980年代以降の産業構造の転換が多くの失業を生みだした。新ゴシック様式のドゥ・ラ・サル・カレッジやフェデレイション様式の裁判所など特徴的な建築物がある。

 宮崎章00