オーストラリア辞典
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Launceston

ロンセストン


タスマニア中北部、ホバートの北199キロ、テイマ川Tamar Riverの中流に位置する。
人口:67,701(1996)、64,555(1981)、32,833(1933)、12,752(1881)、約2,500(1830)、276(1806)。


 コーンウォールにあるキング総督の生誕地にちなんで名づけられた。一時パターソニアPatersoniaと呼ばれたこともある。

 1798年にバスとフリンダーズによって、テイマ川が確認され、ポート・ダルリンプルが命名された。1804年にウィリアム・コリンズとウィリアム・パターソンが探検し、後者はまずジョージタウンに、1806年から現在のロンセストンに入植地を築いた。19世紀前半は、北部の港として、行政の中心として発展していく。1818年にはホバートへ通じる道路が完成し、1823から24年にはコーンウォール・ホテルが建築された。ここでジョン・バットマンは、ポートフィリップ入植のための集会を開いた。

 1824年にタウンとなり、25年には公式に北部タスマニアの行政の中心となった。24年には聖ジョン・アングリカン教会が建設され、35年には最初の製粉所が建てられた。1842年には『ロンセストン・イグザミナー』Launceston Examinerが創刊された。44年にはオーストラリアで2番目に古いシナゴーグが設立されている。40年代には聖ジョン病院も設立され、南半球で最初の麻酔の使用が47年に行われた。44年にガスが家の照明に用いられ、ロンセストン・グラマーが46年に設立された。

 1852年に自治体となり、88年にシティとなった。57年にはホバートとの電信が接続され、水道の供給も始まった。60年代からは町のガス照明も始まる。タウンホールが64年に完成し、北部タスマニアの鉱山ブームで70年代と80年代に町は発展した。71年にはデロレインDeloraineまで、76年にはホバートまで鉄道が完成した。また70年代にはスズの精錬所やウェイヴァリー毛織物工場などがオープンした。85年には税関、89年には郵便局、91年には国際博覧会のためにアルバート・ホールが完成し、同年博物館・美術館も設立された。カタラクト・ゴージCataract Gorgeに建設された水力発電所の電力を利用して、95年に南半球で初めて水力発電の電力供給を受けた町となった。

 1898年からカタラクト・ゴージでは観光開発が行われた。1904年に吊り橋が造られ、72年にはチェアリフトが設置された。市内には11年に路面電車が導入された。29年には大洪水のために約3,000人の市民が避難した。59年には大規模な小麦の輸出倉庫が設けられた。川の両岸に広がる美しい町並みには、19世紀の建物が多く残っている。テイマ川の河口近くのベル・ベイBell Bayには、大規模なアルミニウム精錬工場がある。また、ウッドチップの生産も行われている。市周辺の観光地としては、ペニー・ロイアル、フランクリン・ハウス(1838年築)、ウェイヴァリー毛織物工場などがある。

 藤川隆男0403