オーストラリア辞典
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Kiama

カイアマ


ニューサウスウェールズ南東部、シドニーの南106キロ、ウロンゴングから自動車で南に30分くらいの所に位置する。
人口:11,711(1996)、7,717(1981)、4,719(1971)、2,256(1947)、1,161(1881)、199(1851)。


 名前はダラウォルDharawal(Tharawal)のアボリジナルに由来し、「海が音を立てる場所」を意味する。これは海辺にある噴水口blowholeを意味する。ジョージ・バスは、1797年ウェスタンポートに行く途中に、ここに停泊し、噴水口を目撃している。1821年に木こりたちが最初の入植者として入り、1826年に町の場所が確保された。1839年町は公報され、レイアウトされた。1838年、ウッドストック製材所が設立され、1842年酪農業が始まった。その翌年に最初の教会(アングリカン)が設立され、学校も同年に開校された。1849年に桟橋が設けられ、カイアマ蒸気船会社、後のイラワラ蒸気船会社が1853年に設立された。1856年には蒸気機関による製粉工場が開業し、1863年に、1つの家族が創刊以来継続して発行する新聞としてはニューサウスウェールズで最も古い新聞、『カイアマ・インディペンデント』が創刊された。1859年自治体になり、1870年代に港の整備が進み、1878年には郵便局が建てられた。1880年にイギリスへ初めてバターが輸出され、主要都市以外ではニューサウスウェールズでガス工場が1883年に完成した。1887年にボンボウBombo(カイアマの北)まで鉄道が通じ、1893年にはカイアマまで延長された。その結果、海上輸送は衰退した。

 1950年代から観光業が発展し、ウロンゴングの労働者の居住地にもなった。1954年自治体は拡大し、ジャンバルーJamberooとジェリンゴングGerringongを包含するようになった。この頃から、シドニーの退職者も多く住むようになり、町の人口は着実に増加した。チャールズ・キングズフォード・スミスは、1933年、オーストラリア、ニュージーランド間の航空郵便サーヴィスにジェリンゴングから初めて飛び立った。オーストラリアで最初の協同組合のバター工場が、1884年、ジャンバルーでオープンした。

 藤川隆男0503