Keating, Paul John
キーティング、ポール・ジョン
1944-
バンクスタウン、ニューサウスウェールズ、オーストラリア生まれ。
政治家、連邦首相(1991-96)。
アイルランド系カトリックの家に生まれる。父親はボイラー製造にたずさわっていた。キーティングは15歳の誕生日まで、ドゥ・ラ・サール・カレッジで学び、その後はベルモントとシドニーの技術学校の夜間部に通った。シドニーで地方公務員を数年間勤め、続いて香港の貿易会社に勤務した。1968年に地方公務員組合の研究員ならびに活動家になり、その翌年、オーストラリア労働党の議員として連邦議会の下院に入った。ホイットラム政権が倒れる前に、彼はノーザン・オーストラリア担当大臣を1975年に数週間務めた。1979年から1983年までニューサウスウェールズの労働党議長となり、ホーク政権においては1983年から1991年まで大蔵大臣を務めた。その後ホークに代わって1991年に首相となった。政治的に逆境にあった1993年の総選挙におけるキーティング政権の勝利は、予想外なものと思われた。彼は1996年まで首相であった。
1983年に成立したホーク政権では、ポール・キーティングが経済政策を事実上立案し、イギリスのサッチャー政権やアメリカのレーガン政権に類似した新自由主義の政策を推進した。オーストラリア・ドルの防衛が放棄され、金融の規制緩和が始まった。また政府の歳出が削減され、1980年代の末には財政赤字は消滅した。
1991年に首相になると、キーティングはさらなる経済政策を進め、銀行や航空会社の民営化、通信における独占の排除などが進んだ。また太平洋自由貿易圏を、APECによって推進しようとした。また共和政の実現を政治目標に掲げて、保守勢力との差別化をはかった。
山口典子00