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Karratha
カラーサ
西オーストラリア中西部ピルバラ地方、パースの北1,535キロに位置する。
人口:10,057(1996)、8,341(1981)、1,838(1971)、44(1933)。
この都市の名前は、アボリジナルの言語で「よい土地」という意味であり、1860年代この名が牧場に用いられたのが始まりである。この地域は、以前はNgarumaあるいはJaburraraのアボリジナルの土地であった。1861年にF.T.グレゴリー率いる入植者が、北西部で初めて上陸した場所の1つである。また、その時にグレゴリーの船員たちはニコル湾Nickol Bayで真珠貝を採集している。この地域は、1866年に借地として貸与され、カラーサ牧場が設立された。ジェラルトンからニコル湾への家畜運搬のための道路も同年に造られている。
1966年にカラーサ牧場は鉱山事業を手がけるハマズリー社Hamersleyによって買収された。1969年にハマズリー社と西オーストラリア政府によって、ハマズリー社の従業員と20キロ離れたダンピア港のための住宅地としてタウンは設立された。政府はノース・ウェスト・シェルフNorth West Shelfの天然ガス・プロジェクトを推し進め、町はこの事業に従事する人々の居住地にもなった。ダンピアの成長が限界に達するのにともない、この地域で最大の町になった。ピルバラの行政機能の多くはこの町に集中するようになっている。
新林秀亮1001