オーストラリア辞典
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Kalgoorlie Riots

カルグァリー暴動



 1934年1月に、西オーストラリアのカルグァリーやボウルダBoulder近郊の鉱山町で起こった暴動。

 1月29日にエドワード・ジョーダンがクラウディオ・マタボニとのけんかで死に至ったことがきっかけとなり、アングロ・ケルト系のオーストラリア人は、南ヨーロッパ人、とりわけイタリア人やユーゴスラビア人などの財産を破壊、略奪した。30日には一部の鉱夫が、帰化していない外国人を鉱山で今後雇わないことを求めてストライキを決行した。またこの日、オーストラリア人は、ボウルダ駅の近くのディングバット・フラットDingbat Flatにあるユーゴスラビア人の家を襲った。その争いの中で、オーストラリア人のチャーリー・ストークスが刺殺され、モンテネグロ人のジョゼフ・カチッチが射殺された。

 この2日間で、ホテル、クラブ、カフェ、民家を含む約70の建物とほぼ同じ数の鉱山キャンプが破壊された。応援の警察が31日と翌月2日に到着したが、再び暴動は起こらなかった。主に略奪に関して約90人が告発され、ほとんどは罰金刑に処せられたが、一部は懲役刑を受けることになった。

 オーストラリア人の南ヨーロッパ人に対する怒りは、南ヨーロッパ人の英語力や経験の不足から鉱山事故が起っているという主張や、南ヨーロッパ人が仕事の謝礼に賄賂を渡しているという主張から生じていたとされる。

 新村祐規00