オーストラリア辞典
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Kalgoorlie

カルグァリー


西オーストラリア南西部、パースの東597キロに位置する。
人口:28,087(1996、Boulderを含む)、22,837(1954、Boulderを含む)、9,083(1933)、13,488(1911)、9,643(1901)。


 カルグァリーは、オーストラリアで最も有名で、かつ重要な採金地の1つである。カルグァリーとはアボリジナルの言葉で、「やわらかな西洋ナシ」を意味するとされる。白人の入植以前は、Wangkathaのアボリジナルの居住地であったと思われる。1893年、パディ・ハナンPaddy Hannan、トム・フラナガンTom Flanaganそしてダニエル・シェイDaniel Sheaによって金が発見されたことが、町の誕生につながった。同年の6月17日にハナンが登記を済ませると、数日のうちに約700人が金の試掘を始めた。この熱狂ぶりは他のゴールドラッシュには見られないものだった。この町がのちに「世界で最も恵まれた採金地」として知られるようになることと比べると、他の西オーストラリアの町はどれも色あせて見える。

 現在のカルグァリーの町の近くで、南オーストラリアのグループが、ゴールデン・マイルとして知られる金鉱脈を発見し、彼らが最初にいた採金地の名前を取ってボウルダBoulderとこの場所を名づけた。ここにボウルダの町が成長した。1897年、人口の急激な増加に伴い、カルグァリーに続きボウルダの町が建設された。1910年まで、この2つの町は繁栄を続けた。町には電気が引かれ、豪華な建物が立ち並んでいた。カルグァリーでは、1894年に最初の郵便局が開設された。翌年には町の測量が行われ、これに続いてタウンの公示が行われた。96年には鉄道が開通した。町は、20世紀の初期にピークに達し、93のホテル、8つの醸造所が建てられ、約3万人が住むようになった。1903年までに、鉱山業のための学校が設立されて、ダーリング山地から新鮮な水が供給されるようになった。この当時作られた建物の多くが今も現存する。これらは、2つの町が金の採掘によっていかに栄えたかを示している。

 1920年代、産金量の減少によって、町は衰退の兆しが見えたが、金価格の上昇にともない、再び活況を呈するようになった。その後も金価格の変動により、町の経済状況は大きく変わった。現在も金の生産は続いており、70年代からはニッケル、80年代からはウラニウムも生産されるようになった。1989年には、カルグァリー・ボウルダ市Boulder- Kalgoorlieが誕生している。最近は鉱山業い加えて観光業も町の重要な産業になっている。

 藤岡真樹・藤川隆男0503