オーストラリア辞典
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Ingham

インガム


クィーンズランド北東部、ブリスベンの北1,481キロに位置する。
人口:5,012(1996)、5,598(1981)、5,868(1976)、3,036(1947)、373(1901)、16(1881)。


 名称は、この地域で最初のサトウキビ農場を始めたウィリアム・インガムWilliam Inghamに由来し、タウン建設のための測量が行われた1879年に名づけられた。それ以前はロワー・ハーバートLower Herbert、パーム・クリークPalm Creekとして知られていた。

 もともとこの地域は、ワーガマイWarrgamayあるいはNyawaygiのアボリジナルの居住地であったと思われる。1853年、ジョージ・ダルリンプルGeorge Dalrympleがこの地域を探検したのに続いて、ヘンリー・ストーンHenry StoneがアバゴウィAbergowie近くにハーバート牧場を建設した1865年に、ハーバート渓谷の下流のヨーロッパ人による入植が始まった。

 1879年、タウンの割り当て地が売却され、地方自治体が設立された。1880年から、植民地精糖会社Colonial Sugar Refining Coがこの地域の利権を獲得し始めた。その後、町は砂糖・牧畜産業によって発展していくことになった。

 1891年、サトウキビ栽培にイタリア人移民が初めて従事し、1900-19年にはチェイン・マイグレイションが起こった。1920-39年にはイタリア人移民がピークを迎えた。第1次世界大戦以降、この地域のサトウキビ生産を担ったのは、イタリア人移民であり、インガムの周辺に定着したイタリア人は、クィーンズランドで最大のイタリア人コミュニティーを形成するようになった。彼らの残した墓石はその規模と美しさから、観光の対象となっている。

 鉄道は1919年に開通した。1931年までには、ヴィクトリアVictoria工場、マクネイドMacKnade工場が、ともに年間10,000トンの甘しょ糖を生産するようになった。砂糖産業は1951-53年、1963-65年に大規模な発展を遂げた。現在も地域の産業はサトウキビに依存しており、熱帯果実の栽培や牧牛がこれを補完している。インガムは周辺の地域のサーヴィス・センターであると同時に、ヒンチンブルック郡の行政の中心でもある。

 志方光0902