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Imperial Federation movements
帝国連合運動
1870年代にイングランドで始まった、本国と植民地の政治・経済・社会的合同を通じてイギリス帝国の緊密化をめざした運動。1884年に、ロンドンにおいて帝国連合連盟Imperial Federation Leagueが結成され、運動の中心的担い手となる。1887年の第1回植民地会議の開催は、連盟のイギリス政府への働きかけによるところが大きいといわれる。1885年、メルボルンに連盟の支部が設置され、以後、他のオーストラリア植民地にも支部ができる。しかし、1890年代に入ると、オーストラリア連邦結成運動が高まり、ナショナリズムの強い力に押されて、連盟主導の運動は衰退する(1893年に連盟は解散する)。
かわって、オーストラリアの立場から帝国連合にアプローチしたのが、オーストラリア出生者協会Australian Natives' Association (ANA)である。協会は、ナショナリズムと帝国意識の両立は可能だと考え、「オーストラリア人のためのオーストラリア」を唱える一方で、特に経済・防衛においてイギリスとの結びつきを重視する。ここに、本国の立場から帝国議会や帝国関税・軍事同盟を構想した植民地相ジョゼフ・チェンバレン(1895-1902)との相違がある。
ナショナリズムの頂点となる連邦結成が達成されると、以後、本国イギリスと効果的な協力関係を取り結ぶことに関心が移る。このオーストラリア版帝国連合運動を推進した中心人物が、第1回植民地会議の出席者で、ANAのメンバーだったアルフレッド・ディーキンである。
宮崎章00