Hunter, John
ハンター(ハンタ)、ジョン
1737-1821
リース、スコットランド生まれ。
英国海軍の指揮官、第2代ニューサウスウェールズ総督(1795-1800)
ハンターは1737年にエディンバラ近郊のリースで船長の息子として生まれた。アバディーン大学へ進学し、スコットランド教会の聖職者となることを期待されていた。しかしながら、彼は海で活動することに関心を示し、1754年から英国海軍の戦艦に乗船した。その後も、七年戦争やアメリカ独立戦争に参加しており、東インドやジャマイカ、北アメリカなどで士官候補生として活躍した。 1780年に海軍士官となったハンターは西インド艦隊の指揮官などに任命されており、英国海軍のもっとも優秀な指導者の1人であった。
軍艦の船長などを経験したハンターは、最初のオーストラリア植民である1786年の第1船団First Fleetに参加した。約1,300人が乗船した11隻からなる艦隊において、ハンターはアーサー・フィリップ総督の指揮下のシリウス号の第2指揮官であった。シリウス号は艦隊の旗艦であり、フィリップが補助艦サプライ号に移動した後、ハンターはシリウス号の全権を委任された。サプライ号 は1788年1月にボタニー湾に到着し、多くの囚人を乗せた残りの艦隊も1月20日までに到着した。しかしながら、ボタニー湾は入植に不適であったため、ハンターはフィリップのポートジャクソンの調査に同行し、結局上陸地はポートジャクソンに変更された。
ハンターは囚人を入植させるために、ポートジャクソン周辺の港や土地調査を行う一方で、治安判事として裁判官の役割も果たした。また物資の不足する植民地を救うために、1788年10月にシリウス号で喜望峰に穀物や医薬品などの補給のために派遣された。その後フィリップ総督の指令によって、囚人入植地として重視されていたノーフォーク島の調査にも赴いている。 1790年2月に難破したものの、ハンターはノーフォーク島において11ヵ月に及ぶ詳細な調査を行った。結局その後の再三の調査にも関わらず、この島への入植は1814年に放棄されている。ハンターは1792年にイギリスに帰国し、本国の海軍で指揮官として活躍した。
1792年末にフィリップ総督が本国に帰国し、ニューサウスウェールズの統治はフランシス・グロース少佐、続いてウィリアム・パターソンに委ねられた。フィリップの後任として第2代総督に任命されたハンターが赴任したのは1795年9月のことであった。ハンターが赴任した当時のニューサウスウェールズの行政機構は未発達で、またロンドン政府の指令も距離的な問題や各政府機構権力が分散していたことから非合理的なものであった。
当時のニューサウスウェールズの人口は3,211人であり、そのうち1,908人が囚人であった。残りの大半は行政官や解放囚人であり、自由移民は僅かであった。またグロースは囚人や解放囚人を私的産業や個人農業に雇用することを奨励していたため、個人経営が政府のセクターよりも発達していた。囚人を私的に雇用することで一部の役人や司令官が利益を得、しかもラム酒などの交易を独占しており、公共事業などは不十分なままであった。そのため、総督としてのハンターの任務は、ニューサウスウェールズ植民地の行政機構を再編することであった。
しかしながら、総督としてのハンターの土地配分や囚人雇用変革の試みは、所轄大臣のポートランドやニューサウスウェールズ軍団の将校マッカーサーらとの不和から次第に行き詰まった。ハンターは植民地の経済的、道徳的悪化の主因を、フィリップの帰国からハンターが着任するまでの期間の軍隊的行政によるものと報告している。また後に彼の名前が付けられたハンター川付近の調査や植民地における学校建設にも着手しているが、全体的に見ると総督としてのハンターの活動は失敗であったとされている。
ハンターは1800 年に総督を解任され、フィリップ・ギドリー・キングが後任となった。 1801年にイギリスに帰国したハンターは再び海軍で活動し、1810年には海軍中将にまで昇格している。また帰国後もニューサウスウェールズ植民地の問題へ関与は継続し、1812年には囚人輸送に関する特別委員会で証言している。しかし、再び軍務に戻ることはなく、1821年にロンドンで死亡した。生涯独身であった。
イギリスに帰国後にニューサウスウェールズについての次のような書物を残している。
An Historical Journal of the Transactions at Port Jackson and Norfolk Island, with the discoveries that have been made in New South Wales and the Southern Ocean since the publication of Phillip's Voyage(London,1793)
Governor Hunter's Remarks on the Causes of the Colonial Expense of the Establishment of New South Wales. Hints for the reduction of such expense and for reforming the prevailing abuses(London,1802)
菅原潤哉00