Henty, Edward
ヘンティー、エドワード
1810-1878
サセックス、イングランド生まれ。
牧羊家、政治家。
ヴィクトリア州の最初の開拓者として有名なヘンティー家の1人で、ポートランド・ベイ(ヴィクトリア州の海岸部)の初期の開拓者の1人である。1856年からはヴィクトリア州下院議員としても活躍した。
イングランドのサセックスの農夫、また銀行家であったトマス・ヘンティーを父として、サセックスに生まれたエドワードは、1832年に一族とともに、ヴァンディーメンズランドのロンセストンに移住した。1834年11月にヘンリー・カムフィールドHenry Camfieldと4人の年季奉公人とともに、ポートランド・ベイの開拓を始めた。そこは捕鯨に従事する人々に知られた場所であり、父とともに彼がすでに訪れていた場所だった。こうして彼は、ポートフィリップ地区における白人としての最初の開拓者として知られるようになる。ポートフィリップへ最初のメリノを運んだ弟のフランシスを始めとして兄弟たちが後に続いた。
ヘンティー家は農業を行い、捕鯨にも関わり、また内地へ牧羊の経営を広げていった。しかしイギリス政府は、ポートランド・ベイ開発以前から出されていた、土地を購入したいというヘンティー家の要求を退けた。1839年に、ポートランドが都市として正式に測量された後、ヘンティー家は開発した土地をオークションで買わなければならなくなり、土地の一部を失うこととなった。しかし、後にイギリス政府はヘンティー家への補償を認め、1849年に問題は解決を見た。
1840年代初め、家畜と土地の価格が暴落したため、ポートランド・ベイ経営の改革が必要となった。それを受けてエドワードは、ワノン川Wannon沿いのヘンティー家の大牧場の1つマンサムMunthamに移った。そこは60,000エーカーあり、メリノ種の羊、ショートホーン、そしてエドワードの浪費で有名になった。
1856年から1861年までヴィクトリア植民地下院議員を務め、その間ポートランドあるいはメルボルンの邸宅に住んでいた。1878年、そのメルボルンの邸宅で亡くなった。
清水寿夫00