オーストラリア辞典
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Hanson, Pauline

ハンソン、ポーリン


1954-
クィーンズランド生まれ。
政治家。


 1997年3月に結成された政党ワン・ネイションの党首。多文化主義社会・国際化社会としてのオーストラリアの現状を厳しく糾弾し、論争を引き起こした。

 4人の子供をもつ母親で、ブリズベン近郊のイプスウィッチでフィッシュ・アンド・チップス店を経営していたが、1994年に同市の市議会議員に選出される(95年まで在任)。 1996年3月の連邦下院選挙で、オクスリー選挙区から無所属で立候補し、同選挙区の議席を長期にわたり保持していた労働党を大差で破り、当選する。当初は自由党候補だったが、人種差別的な発言により公認を取り消されている。

 1996年9月の連邦下院議会における初演説で、アボリジナルが白人オーストラリア人よりも特権を享受しているとして、多文化主義を逆人種差別であると攻撃し、大きな反響を呼ぶ。特に、先住民の慣習法上における土地権の存在を史上初めて確認した、1992年の連邦最高裁のマボ判決、および、それを受けてキーティング労働党政権が制定した、1993年先住民土地権法に関して、政府の補償政策を所有権のない者への施しであると批判した(1996年12月に連邦最高裁は、先住民の土地権と牧畜業者の土地権は共存可能であるとしたウィック判決を下し、それを受けてハワード自由党・国民党連立政権は、1998年に法の改正を行っている)。また、先住民に関する諸問題を検討するアボリジナル及びトレス海峡諸島民評議会ATSIC: Aboriginal and Torres Strait Islander Councilを、納税者に寄生するアボリジナル産業とみなして、その廃止を求めた。そして、オーストラリアが強力な統一国家であり続けるには、1つの国民、1つの民族、1つの国旗しか存在してはならないと主張する。さらに、反アボリジナルは反アジア移民へとつながり、オーストラリアのアジア化を促すものとして政府の移民受け入れ政策を攻撃する。

 こうした反多文化主義の背景には、80年代からの国際化と規制緩和の動きのなかで、白人オーストラリア人のなかの経済的弱者・敗者が社会に対する疎外感を抱き、マイノリティの保護・援助を自らへの不当な差別と強く意識するようになったことがある。実際、先の演説において、国内の失業問題に何ら対策を講じずに、その一方で、莫大な額の対外援助を行って国連・世銀・投資会社・大企業などにこびへつらっていると政府を非難し、対外援助の停止、関税引き上げ、金利引き下げ、国土開発の促進などを要求している。また、このような排外主義的ナショナリズムに基づき、18歳の男女に対する1年間の兵役義務の導入を唱える。ワン・ネイションは、既存政党に幻滅した民衆に迎合的な綱領を掲げたポピュリズム政党で、1997年5月の世論調査では、全国で10パーセントの支持を集めた。著書に、自らと支持者の見解をまとめたPauline Hanson The Truthがある。

 景気が回復した現在では、ワン・ネイションへの支持はほとんど消滅し、政党登録手続きの問題から、ワン・ネイション自体も解散を命じられた。

 宮崎章00

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