Guildford
ギルフォド
西オーストラリア南西海岸部、パースの郊外の16キロ北東に位置する。
人口:2,217(1947)、3,224(1911)、1,698(1901)、95(1848)。
町の予定地は1829年に決定され、役人が多く農場を持っていたスワン・リヴァー流域の農業地区の中心として1830年に計画された。名前は総督スターリングがイングランドのサリー州の町にちなんで名づけたものである。白人の入植以前は、ニュンガー、詳細に区分すればWajukの居住地であった。スターリングが1829年に近郊の1,620ヘクタールを購入し、ウッドブリッジ・ハウスを建設した。1896年にこの建物は学校となり、結局はギルフォド・グラマーに発展した。南ギルフォドでは、オリーヴ・ファーム葡萄畑が1830年からワインセラーを経営し、1831年には西オーストラリア農業組合が組織された。1834年にはパースとフリーマントルとともに、ここに西オーストラリア最初の学校が設置された。1836年に聖マシュー教会が建設された(現存するのは73年の建物)。1849年に軍がコラボレのために集まった約250人のアボリジナルを追い払ったが、これはパースとロットネスト・アイランドからこの祭りに参加しようと、アボリジナルの囚人が脱獄したためであった。囚人雇用のための軍の補給所が1853年から1873年まで経営され、その建物はガリック・シアターとなった。1867年には裁判所が建設され、1881年には鉄道が開通した。1941年にアラワ・グロウヴAllawah Groveのアボリジナルの居留地が軍のために収用されたが、1957年に土地は彼らに返還された。町には多くの歴史的建築物が残っている。現在はパースの都市圏の一部に組み込まれている。
水田哲朗・藤川隆男0103