Griffith
グリフィス
ニューサウスウェールズ中南部、シドニーの南西570キロに位置する。
人口:14,209(1996)、13,178(1981)、7,696(1961)、2,468(1933)。
キャンベラを設計したウォルター・バーリー・グリフィンによって設計され、労働党の建設大臣であったアーサー・ヒル・グリフィスの名から命名された。1817年にジョン・オクスリーがこの付近を探検し、1840年代にはスクオッターが流入した。それ以前は、アボリジナルのウィラージューリーの居住地であった。1911年頃の最初の村はバッグタウンBagtownと呼ばれた。1907から1912年のマランビシー川灌漑地区の建設と、バランジャック・ダムBurrinjuck Damの建設に続いて、町の設計がなされ、レイアウトが行われた。そして1916年に町として公示された。
1912年に初めてブドウが移植され、1930年までにブドウ栽培とワイン醸造が発展した。1913年にペンフォールスが、1917年にマクウィリアムズがワイナリーを建設した。両大戦後には帰還兵の入植が行われた。イタリア人が多く住む町として知られており、1939年に聖メアリ教会が建設された。
反麻薬活動家ドナルド・マッケイが1977年にここで行方不明となり、1984年にその容疑者に対して殺人罪で有罪の判決が下されている。今日、この地域(リヴェリーナ)はニューサウスウェールズのワイン用ブドウの80%を生産し、オーストラリア全体でもその2割を生産している。また、1924年に始まった米の生産は重要な産業に発展し、現在は年間140万トンを収穫し、その90%を輸出している。この他、かんきつ類の栽培も盛んである。
菅原潤哉・藤川隆男0203