オーストラリア辞典
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Greenway, Francis

グリーンウェイ、フランシス


1777-1837
ブリストル近郊、イングランド生まれ。
流刑囚、建築家。


 囚人としてオーストラリアに送られた建築家。数々の植民地の有名な建物を設計し、その中には現存しているものもある。

 1771年に、ブリストル近郊の石工や建築家の家族に生まれる。グリーンウェイは建築家として開業するが、1812年に文書偽造のために逮捕され、死刑を宣告された。しかし、刑罰はニューサウスウェールズ植民地への14年間の流刑に軽減され、1814年にシドニーに着いた。まもなく刑の執行猶予状を受けると、建築家としての仕事を再開した。グリーンウェイは公共事業に対しても助言を行うようになり、1816年にマクウォーリは彼を文民の建築家と公共事業副監督官に任命した。彼の建築したサウス・ヘッドの燈台に満足したマクウォーリは、1818年に仮の赦免をグリーンウェイに与え、1819年には特赦によって彼を完全に自由の身とした。

 グリーンウェイは多くの有名な建造物をデザインした。改築されているものもあるが、そのうちの11個は現存している。例えば、ポートジャクソンの入り口の南の岬の燈台、パラマッタの「女性工場」、その功績により特赦を受けたハイドパーク囚人宿舎、ウィンザーのセント・マシューズ教会、リヴァプールのセント・ルークス教会、そしてシドニーのセント・ジェームズ教会である。

 彼は当時のジョージ朝様式に従いつつ、オーストラリアの気候や景観に適したデザインを用いた。また、植民地における職人の技術の向上を主張し、仕事の到達度に応じて支払いを行おうとした。それは多くの敵を作ることを意味した。グリーンウェイは報酬のことでマクウォーリと衝突し、1822年に政府の建築家の地位を解雇された。これ以後は建築家として働くことはあまりなかった。その例外の1つがシドニーの商人キャンベルの家である。そして、1837年に貧困の中、ハンター・ヴァリーの自宅で死亡した。

 その後長い間、グリーンウェイは、植民地社会における更正した囚人の模範とされ、オーストラリアで最初に発行された10ドル札の肖像に採用された。

 新村祐規00