Goldstein, Vida Mary Jane
ゴウルドスティーン(ゴールドスタイン)、ヴァイダ(ヴィ-ダ) メアリー・ジェーン
1869-1949
ヴィクトリア生まれ。
フェミニスト、女性参政権論者。
ヴィクトリアに生まれた。メルボルン・プレスビタリアン・レイディーズ・カレッジ卒業。1890年代、姉妹とともに私立小学校を経営した。1897年、ナショナル・アンタイスウェティング同盟(苦汗労働反対同盟)の組織化にかかわり、またヴィクトリア女王在位60年を祝うクィーン・ヴィクトリア病院の慈善活動に協力し、改革派の人々が取り組んでいたヴィクトリア州児童裁判所法(1926年成立)の運動にも携わっていた。
1890年には女性参政権の請願署名運動(ヴィクトリア植民地議会に後に提出された。)に協力した。1899年からは、婦人参政権を進めるために公然と発言し、1902年アメリカ合衆国を訪問し、複数の会議に出席して、女性参政権を支持する証言や演説を行った。女性政治協会the Women's Political Association を設立し、自ら会長となった。この協会は1903年から1919年まで存続した。また月刊誌the Women's Sphereを創立、経営者兼編集者になった。その他多くの女性組織で活躍した。1909年からは、週刊誌the Woman Voterを設立、経営、編集した。この雑誌も1919年まで刊行された。女性社会・政治連合the Women's Social and Political Unionの招きでイギリス本国に赴き、女性参政権を唱え執筆・演説活動を行った。1911年にはロンドンでオーストラリア・ニュージーランド女性有権者協会the Australian and New Zealand Women's Voters' Associationを組織している。
ゴールドスタインは、大英帝国において議会に立候補した最初の女性の1人である。1903年に上院に無所属で立候補したが当選はしなかった。その後4回立候補したが、いずれも当選することはなかった。第1次世界大戦中は新しく組織された平和連盟の議長を務めた。また女性平和軍を主宰する。これは1915年から1919年の間存在した。さらに女性失業者ビューローや女性農村工業会社などの組織化を援助した。1919年にセシリア・ジョンCecilia Johnとともに、スイスにおける婦人平和会議 に出席した。3年後オーストラリアに戻ったが、その後は活動から遠ざかった。
安井倫子00