Gill, Samuel Thomas
ギル、サミュエル・トマス
1818-1880
サマセット州、イングランド生まれ。
画家。
1818年5月21日にイングランドのサマセット州マインヘッドMineheadの近くのぺリトンPerritonで生まれる。バプティスト派の牧師であるサミュエル・ギル師Rev. Samuel Gillと、彼の最初の妻ウィニフレッド・オウクWinifred Okeの息子である。彼は両親が経営していたプリマスの学校で教育を受け、その後、シーブルック博士の専門学校で教育を受けた。アマチュアの画家であった父から絵の手ほどきを受け、ロンドンで「製図者かつ水彩画家」として働いた。
ギルは1839年12月、カロライン号で両親や兄弟とともに南オーストラリアのアデレイドに到着した。ギルが1840年にゴーラ・プレイスGawler Placeにアトリエを設立すると、彼の絵や石版画は評判になった。彼のテーマは田園風景、アデレイドの景色や地域の人々であった。1846年、彼はJ.A.ホロックスHorrocksのスペンサー湾への探検隊に加わり、多くの絵を描いた。その時の絵は、南オーストラリア国立美術館で保存されている。探検中、ホロックスが発砲事故に遭い、ギルが看病したが3週間後にホロックスは死亡した。ギルの痛切な探検の日記はSouth Australian Gazette and Colonial Register(1846年10月10日)に見られる。
彼の名が広く知られるようになったのは、ヴィクトリアの金鉱地を描写した作品を通じてである。1852年のゴールドラッシュの間、ギルはヴィクトリアに移った。ギルの活気にあふれ、しかもユーモラスなスケッチは、金鉱での毎日の生活の細部や雰囲気を、その失望と興奮とともにとらえており、イングランドとオーストラリアで人気を博した。1853年、24枚の石版スケッチ集である『ヴィクトリア金鉱と鉱夫の現状』Victoria Gold Diggings and Diggers as They Areをメルボルンとロンドンで出版した。こうして、「金鉱地の画家」と呼ばれていたギルは、1869年にはメルボルン公立図書館の理事に要請され、1852年から1853年にかけての金鉱地の40のスケッチを描いた。マイケル・キャノンMichael Cannonは、1982年にこれらを含むThe Victorian Goldfields 1852-53を編集した。
ギルは『ヴィクトリアのスケッチ』(1855-1856)、『挿絵入りのシドニー』(1856)、『オーストラリアのスケッチブック』(1856)の中で、オーストラリアの植民地生活の様子を詳細に記録した。ギルは常に田舎の風景や都市の風景を描き、その中で人間や馬や犬もよく描いた。南オーストラリアでのギルの作品は初期の南オーストラリアの貴重な記録であるが、彼は主に金鉱の画家として記憶されている。ギルの作品は、オリジナルの水彩画とプリントが、キャンベラの国立図書館、シドニーのミッチェル図書館、ヴィクトリアと南オーストラリアの州立美術館、ニューサウスウェールズ州立美術館に所蔵されている。
田中沙依・藤川隆男0203