Geraldton
ジェラルトン
西オーストラリア中西海岸部、パースの北424キロに位置する。
人口:25,243(1996)、20,895(1981)、10,894(1961)、2,476(1901)、911(1881)。
地名は総督チャールズ・フィッツジェラルドにちなみ、ジェラルドタウンGerald Townと名づけられていた。白人の入植以前は先住民アマングAmanguの人々が居住していた。
1839にジョージ・グレイが探検したのが、白人の侵入の始まりである。1846年にグレゴリー兄弟によってこの地方の広大な土地を開発するための探検がなされ、1848年に鉛が発見された後、2年後にジェラルトンの町が公示された。ジェラルトン・ホテルが1850年に建てられたが、ここはジョン・フォレストの1874年の探検の出発地点となった。1853年に囚人の収容所が作られた。1861年には服役囚の労働によって町の統治官の邸宅が建てられた。これは1924年に病院となり、その後コミュニティーセンターとなった。パースへの陸路による郵便事業が1853年に開始された。最初の郵便局が1866年に建てられた。1879年にノーサンプトンへの鉄道が開通した。特定の宗派に属さない教会兼学校が1861年に建てられた。1877年には公立学校が建てられた。聖フランシスコ・ザビエル大聖堂は1938年に創建されている。1850年代から数十年の間に約1,000人いた地域のアボリジナルの人口はほぼ消滅した。人口減少の主な要因は伝染病と白人との抗争であった。
最初に桟橋が造られたのが1874年で、1877年には鉄道と接続した。1963年に漁船基地が建設された。ロブスター漁は重要な産業のひとつであり、オーストラリア西部最大のロブスター漁船団がここを母港にしている。1964年には第4投錨地と穀物ターミナルのためのコンベヤー施設が作られた。1969年にジェラルトンの港湾当局が設置された。
この町の主要な産業は観光である。他には、魚加工業や過リン酸塩製造業がある。また、この周辺地域では羊毛や小麦の生産が行われ、天然ガスや鉄鉱石といった資源がある。
渡部滋之1101