GATT (General Agreement on Tariffs and Trade)
ガット(関税と貿易に関する一般協定)
GATT(「関税と貿易に関する一般協定」の略称)は、国連の支援を受け、1948年1月1日に発効した。GATTは、アメリカとイギリスの相互援助協定を母体とした第2次世界大戦中の連合国間における協力関係から発展したものであり、戦間期にみられた貿易制限の乱発を繰り返さないための方策としての性格も有していた。GATTは、加盟国間でより自由な貿易風土を強化することを目的とし、1980年には加盟国が100を超えた。
1942年に発効したオーストラリアとアメリカとの戦時協定は、GATT加盟のきっかけとなり、1947年、オーストラリアはGATT原加盟国のひとつとなった。オーストラリアは、当初からGATTの原則と1932年のオタワ会議において取り決められたコモンウェルス諸国、特にオーストラリアとイギリスの特恵貿易関係を両立させる必要があった。しかし、イギリスとの特別な関係は、イギリスのEC加盟により失われた。
GATTは、戦後の国際秩序における自由貿易の構築に向けた最も効果的な努力を象徴している。GATTは工業製品の自由貿易を主目的としていたが、オーストラリアは自国の第2次産業を保護するために、輸入品に対し高関税を設定してきたので、それへの参加は特別な意義をもっていた。GATT加盟国は、国際収支の悪化を防止するような特定の状況においては、保護的な手段に訴えることを許されていた。オーストラリアは相対的に第2次産業の輸入品に対する競争力が弱かったので、長年にわたって輸入障壁を頻繁に設けることとなった。
オーストラリアは、1960年代後半以降に最大の貿易相手国となった日本との貿易関係を、GATTの枠組みの中で発展させてきた。日豪関係は戦後のオーストラリアにとって最も重要な2国間関係となったが、オーストラリアは、日本に比べて第2次産業のコストが高いため、鉱物を含む1次産品の輸出により貿易を均衡させる必要があった。
一方、世界貿易のほとんどがGATTの取り決めに基づいて行われるようになったため、GATTの生み出す利益を享受できない発展途上国は、GATTを先進国のためのクラブと見なすようになった。そのため発展途上国は、発展途上国の貿易条件改善を保証するための機関の設立を国連に働きかけ、1960年代中ごろに国連貿易開発会議(UNCTAD)の設立を促した。しかし、UNCTADを支持する国々は、世界貿易のなかで重要な地位を獲得することはできなかった。
なお、1995年1月1日の世界貿易機関World Trade Organization(WTO)設立に伴い、GATTは発展的に解消、オーストラリアもWTOの加盟国となった。
浅野敬一00