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Fusion Party
自由主義連合党(のちの自由党)、融合党
1909年に、労働党(ALP)に対抗することを目的に連邦議会において分裂していた自由主義の諸派が連合して生まれた党派。この党派は、一般的に融合党Fusion Partyと呼ばれた。
当時、労働党に対抗する勢力は主として、ジョゼフ・クックを中心とする保守的な自由貿易主義者と、新保護主義を掲げるアルフレッド・ディーキンを中心とする保護関税論者とに分裂していた。議会では、労働党と三つ巴の状態であり、社会改革政策などでは労働党がディーキンを支援していた。しかし、労働党がディーキンへの支援を打ち切ったことからディーキンに保守派の支持が集まるようになり、反社会主義を掲げた自由・保守の連合党派が誕生した。後に自由党と呼ばれるようになったこの融合党は、ディーキンを党首、クックを補佐として労働党に代わって政権についた。1909年に成立した自由主義の諸派連合の内閣は、ディーキンを首相、クックを国防相、反社会主義の保護主義者の代表ジョン・フォレストを蔵相とするものであった。このような自由主義諸派の融合の背景には、関税問題がすでに決着済みの問題となり、また自由貿易派リーダーのジョージ・リードの引退で、保護主義者と自由貿易派の間の対立がほとんど存在しなくなったこと。労働党がディーキンの掲げる新保護主義からこれ以上の利益を得られないことを自覚し、独立傾向を強めていたことがある。この自由主義者の連合政党の成立は、オーストリラリアの政治史において、労働党との2大政党制の始まりとして位置づけられている。
三木一太朗00