オーストラリア辞典
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Free Trade

自由貿易



 地域間、或いは地域内での物資およびサーヴィスの流通に対し、理論上、政府による直接の干渉を加えない財政政策を指す。19世紀後半から20世紀初頭のオーストラリアにおいて、関税問題は最も論議を呼んだ問題の1つであった。自由貿易は通常、外国製品と国内製品との激しい競争を容認し、所得やサーヴィス、土地への課税による歳入の増加を企図する政策を含むものであった。世界市場における自由競争は、国内消費者が最も良質で安価な製品を買うことを可能にし、それによって国内の経済活動が刺激され、国内産業は競争力のあるものに成長する、という信念が自由貿易の理想を支えていた。

 関税政策は各植民地によって様々であった。例えば、ニューサウスウェールズ植民地は自由貿易政策を採用したが、ヴィクトリア植民地は保護貿易政策を採用した。ニューサウスウェールズ植民地は、輸出貿易の需要に応える財政政策によって、基幹産業を促進しようと考え、自由貿易を支持した。これに対しヴィクトリア植民地は、1850年代のゴールドラッシュにより発展した製造業を初めとする産業を奨励するため、60年代には保護貿易政策へと動いた。この政策の違いは、両植民地の歳入源の違いにも起因していた。公有地売却収入が豊富にあったニューサウスウェールズに対し、ヴィクトリア政府は歳入の主要部分を関税に頼らざるを得なかったのである。

 1901年のオーストラリア連邦の成立に続いて、連邦憲法で州間(かつての植民地間)での自由貿易が保証されたものの、次第に保護貿易政策が国策となっていった。19世紀後半の各植民地の発展につれて、自由貿易による利益を享受していた大規模牧羊業者や大輸入業者の利害と、保護貿易政策を望む小規模開拓農民や都市生活者の利害との対立が激しくなったのが、その原因である。連邦議会では、当初ディーキンを中心とする保護貿易派と、リードを指導者とする自由貿易派が対立していたが、労働党の成長につれて、両者の対立は重要な意味を持たなくなった。自由貿易派は反社会主義を強調し、保護主義を容認するようになった。1909年、自由貿易派は保護貿易派との合流に踏み切り、自由貿易を主張する政党が消滅することになった。

 津田博司0401