オーストラリア辞典
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Federal Convention

連邦憲法制定会議、連邦会議


1897-98
アデレイド、シドニー、メルボルンで開催。


 オーストラリア連邦の成立を導いた連邦運動の重要な会議。コロワ会議で提案された憲法制定会議の目的は、国民による選挙で選ばれた代表が、国民投票に提示するためのオーストラリア連邦憲法草案を起草することであった。会議にはニューサウスウェールズ、ヴィクトリア、南オーストラリア、タスマニア、そして、西オーストラリアの代表者各10人が出席した。代表は議会のメンバーによって選ばれた西オーストラリアを除いて、どの植民地でも有権者によって直接選出された。クィーンズランドは代表を送らなかった。主要な代表には、初代の連邦首相となるバートン、最初の10年間連邦政府を事実上運営したディーキン、南オーストラリアのキングストン、後に連邦首相となるニューサウスウェールズ自由貿易派の代表リードがいた。

 議会は1897年にアデレイドとシドニーで、1898年にはメルボルンで開かれた。1898年6月に、ここで作成された連邦憲法の草案を元にした、連邦結成の是非を問う、最初の国民投票が4つの植民地で行われた。しかし、ヴィクトリア、南オーストラリア、タスマニアでは圧倒的な支持を獲得し、ニューサウスウェールズでも過半数を獲得したにもかかわらず、ニューサウスウェールズでは、議会が賛成投票成立に必要だと定めた最少得票数8万票に達しなかった。その結果、ニューサウスウェールズの要求によって憲法草案は修正され、1899年に西オーストラリアを除く5つの植民地で再び国民投票にかけられた。この憲法草案は5つの植民地すべてで賛成を得て、イギリス本国へ送られた。イギリス議会はこれをほとんど変更することなく承認した。イギリス政府の圧力もあり、西オーストラリアも1900年7月これを承認した。

 真水晃・藤川隆男0503