オーストラリア辞典
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Farrer, William James

ファラー、ウイリアム・ジェームズ


1845-1906
ドッカー、ウエストモーランド、イングランド生まれ。
小麦交配に大きな成果を上げる。


 小作人の息子として生まれる。奨学金を得てロンドンのクライスツホスピタル校で学び、別の奨学金でケンブリッジのペンブローク・カレッジに進む。そこで医学を始めるが結核を患い、勉学を断念して1870年にオーストラリアに渡った。初めは牧羊場で家庭教師として働き、1875年に測量技師の資格を取ってからニューサウスウェールズの国土省 the Department of Lands に1886年まで勤めた。

 1882年の初めに、ファラーは改良した小麦の生産計画を明確に案出した。彼の当初の計画は、優秀な品種を選び出して栽培していくものだったが、のちに見込みのある品種を選んで交配していくものへと変わった。当時こうした交配による小麦の改良は、ヨーロッパとアメリカだけで行われており、彼は海外からの情報に頼らざるを得なかった。

 その後、今日のキャンベラの近くのマランビジー川の辺りに定住し、1886年から1898年まで小麦栽培を試みた。その間公的援助を受けずに小麦の品種改良に努め、F.B.ガスリGuthrieなどの協力で新しい品種を市場に出した。その功績を認められ、1898年に農務省の小麦栽培実験者に任命されてからは、死ぬまでその職に就いていた。ファラーの研究は、オーストラリアや他の国々の小麦産業の発展に多大な貢献をした。彼の作った小麦で最もよく知られている「フェデレイション」(これは1901年に名づけられた)は、1910年から1925年まで、オーストラリアで最も広く栽培された小麦であった。彼は多くの種類の小麦を生み出した。1914年にはニューサウスウェールズの多くの地域で29種の小麦が栽培を推奨されていたが、このうち22種は彼の小麦であった。彼の交配した小麦は、乾燥地帯や赤さび病の多い地域での栽培も可能な種類もあったため、栽培範囲は広がった。現在ではファラーの小麦は新しい品種に取って代わられているが、品種改良の際の種親として使われたことで、その影響は現在まで続いている。

 山口典子00