Fairfax, John
フェアファックス、ジョン
1804-1877
ウォリック、イングランド生まれ。
新聞経営者。
イギリスからオーストラリアへ移住し、小さな地方紙『ヘラルド』を、大英帝国内でも影響力がある主要紙の1つへと築き上げた経営者。
イギリスのウォリックで、父ウィリアムWilliamと母エリザベスElizabethとの間に生まれる。1817年から徒弟奉公をした後に独立し、妻サラSarahと1827年に結婚。出版関係の職をへた後、1828年に『レミントン・スパー・クリア』紙を発刊、1835年には『レミントン・クロニクル』紙、『ウォリックシア・リポート』紙の社主の1人になる。翌年、名誉毀損裁判で勝訴するが、訴訟費用がかさみ、倒産の申請を行った。1838年、母親と妻子を伴いシドニーへ移住したとき、フェアファックスの所持金は5ポンドにすぎなかった。
ジャーナリストとして活動する一方で、オーストラリア会員制図書館Australian Subscription Libraryの司書を務めた。1841年にはチャールズ・ケンプCharles Kempとともに、フレデリック・ストウクスFrederick Stokesから『シドニー・ヘラルド』紙を買収した。翌年、同紙は『シドニー・モーニング・ヘラルド』紙と改名され、今日まで続いている(下記ホームページ参照)。現在のフェアファックス社は巨大な総合メディア会社となっているが、当初は取材、執筆、編集などをすべて2人でこなす小さな新聞社であった。1851年、フェアファックスはレミントンへ一時帰国し、債務返済を済ませるとともに、当時最新鋭の紙面印刷用スチームプレス機を購入している。1853年にはケンプの同紙に対する利権を買い取り、自分の長男チャールズCharlesを共同経営者とした。フェアファックスの長年の友人に政治家として著名なヘンリー・パークスがいた。パークスが創刊した『エンパイアー』紙の廃刊後は、文学、政治記事などを『ヘラルド』紙に寄稿していた。1856年、社屋をハンター通りへ移し、「ジョン・フェアファックス・アンド・サンズ」を設立、夕刊や週刊誌の発行も始めた。その後、次男ジェイムズJamesも経営陣に加わり、同紙はニューサウスウェールズの主要紙となる。フェアファックスは新聞社経営以外に、オーストラリア相互共済協会Austrarian Mutual Provident Society、シドニー保険会社Sydney Insurance Companyなどの取締役、ニューサウスウェールズ貯蓄銀行Savings Bank of New South Walesの管財人、YMCAの理事長を歴任した。信仰心に厚く、ピット・ストリートの会衆派教会の設立にも尽力した。政治活動も行い、1874年には上院議員に任命された。
1877年6月16日死去。新聞社は彼の息子たちが引き継ぎ、1956年に株式会社となるまで、親族により経営がなされた。今なお、フェアファックスの子孫は経営権の多くを握っている。
藤井秀明00
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