European Economic Community (EEC)
ヨーロッパ経済共同体
ヨーロッパ経済共同体(EEC)は、1957年に締結されたローマ条約に基づき、1958年1月から発効した。当初の加盟国は、フランス、西ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ及びルクセンブルグであった。加盟諸国の当面の目標は、関税やその他の貿易障壁を撤廃し、国境を越えたモノの自由な移動を実現できる共通市場を創設することであった。共通市場の構築は、EECの実現可能な目的を強調するために、最も頻繁に用いられた主張であったが、政治統合等のより困難な目的は、各国の利害に左右される結果となった。
EECの結成は、加盟国間の対立が協力関係へと決定的に変化したことの表れである。このような協力の進展は、経済的な混乱の広がり、資源の効率的利用の必要性及び共産主義拡張への恐怖等を含め、第2次世界大戦後におけるヨーロッパの地位の変化に伴うものである。加えて、北大西洋条約機構(NATO)の結成は、西欧諸国における協調を促進した。
オーストラリアの対EEC関係の焦点は貿易であった。オーストラリアは、EECが拡大するにつれて欧州の輸出市場を失っていったが、イギリスがEECの発展したヨーロッパ共同体ECに加盟した1973年に、状況はより深刻になり、イギリスとオーストラリアの間の特恵貿易協定も、イギリスとECとの関係上見なおされた。イギリスは、EEC発足当初は、コモンウェルスとの特別な関係を維持するために、EECには加盟しないつもりであった。1960年代には加盟を目指したが、2度にわたって加盟を拒否されていた。しかし、最終的には、コモンウェルス内における経済関係の変化により、イギリスにはECに加盟するほかに選択肢がなくなったのである。
第2次世界大戦後、オーストラリアとイギリスとの間の貿易量は劇的に減少していたが、イギリスのEC加盟はこの流れを決定的なものとした。1940年代後半以降の30年の間に、オーストラリアの対英輸出は4分の1に、イギリスの対オーストラリア輸出は3分の1にまで落ち込み、イギリスの対オーストラリア投資も同様に減少した。イギリスがコモンウェルスよりもヨーロッパとの関係を優先するという姿勢に転換したことは、オーストラリアとイギリスの歴史的に特別な関係に決定的な影響を与えたのである。
浅野敬一00