equal pay
同一賃金
一般的に女性が男性と同じ賃金、給与を受け取る権利として考えられてきた。
20世紀の初頭に成立する調停仲裁裁判制度は、家族賃金という概念を導入し、たとえ扶養すべき家族があったとしても、養うべき家族を持たないとされた女性の最低賃金を、男性の50%から75%に規定していた。このような差別的制度に対し、女性は変革を求めつづけた。賃金平等の権利の原則は、オーストラリアでは段階的に導入された。クィーンズランドでは、早くも1916年に同一賃金が法律化されたが、実効はなかった。しかし、第2次世界大戦後には女性の最低賃金は男性の75%に引き上げられた。さらに、1958年、ニューサウスウェールズで「同一労働、同一賃金」が、5年かけて段階的に導入されることが決められた。けれどもこの法律は、男性の仕事と女性の仕事という区別を取り払うことはなかった。女性が「男性の仕事」をしているのならば、同一賃金を受け取ることになるが、「女性の仕事」(例えばタイピスト)をしているのならば、同一賃金とはならない。他の州でも同様の法律が1960年代の末までに導入された。
1969年に連邦調停仲裁委員会は、「同一労働、同一賃金」の原則を、3年間で段階的に導入することを受け入れた。ただし、同一賃金は「その仕事が、必然的に、または日常的に女性によって遂行されている場合」には支給されなかった。これは女性労働者の多くが男性並みの賃金を得られないことを意味した。1972年、委員会は「等価値労働、同一賃金」の原則を1975年中葉までに漸次導入することを受け入れたが、男女同一最低賃金の要求は拒否した。しかし1974年に、委員会はついに男女同一最低賃金の原則を採用した。これによって同一賃金の原則は理論的には確立したが、それが実質的な同一収入にはいたっていないのが現実である。
1960年代にアボリジナルに対する平等賃金の原則も確立するが、これは必ずしもアボリジナルの生活状況の改善には役立たなかった。
安井倫子00