Dobell, William
ドウベル、ウィリアム
1899-1970
ニューカッスル、ニューサウスウェールズ生まれ。
画家。
オーストラリアを代表する肖像画家の1人。毎年、最も優れた肖像画を書いた人物に贈られるアーチボールド賞を3度受賞している(1943、1948、1959)。
当初、地元で製図工をしていたが、1924年にシドニーのジュリアン・アシュトン美術学校に入学。1929年、アーティスト協会から研究旅行奨学金を受け、イギリスに渡り、ロンドンのスレイドSLADE: Society of Lithographic Artists, Designers, Engravers, and Process Workers美術学校に入学し、翌年末まで在籍した。1933年、王立美術院展に'Boy at the Basin'を出品。1938年に開催されたグラスゴー帝国博覧会では、オーストラリア羊毛展示館の装飾に従事している。
1939年に帰国し、イースト・シドニー技術学校で教鞭をとる。太平洋戦争勃発とともに職を辞し、連合国土木協議会Allied Works Councilの所属画家になり(1942-44)、建設労働者や沖仲士を描いた作品を残す('The Billy Boy', 'Cement Worker, Sydney Graving Dock')。1943年度アーチボールド賞に選ばれた'Portrait of an Artist'(画家Joshua Smithの肖像画)は、作品が肖像画か諷刺画かをめぐって論争を引き起こし、肖像画家メアリ・エドワーズらによる授与取り消しを求める訴訟にまで発展するが、州最高裁判所は訴えを棄却している。1949年には、'Margaret Olley'で2度目のアーチボールド賞と、'Storm Approaching Wangi'で風景画に贈られるウィン賞を受賞。同年、ニューギニアに3ヵ月滞在したのをきっかけに、1954年まで専ら当地を画題にした作品(主に細密画)を手がける。
1957年には、最高傑作の1つといわれる'Dame Mary Gilmore'が完成する。1958年に癌の手術を受け、その時の執刀医E.G.マクマホンを描いた肖像画で1959年度アーチボールド賞を受賞する。1960年に、雑誌『タイム』の依頼で、表紙絵にロバート・メンジーズ首相を描く(4月4日号)。その後3度にわたって、彼の肖像画が同誌の表紙を飾っている。肖像になった人には、南ヴェトナム大統領ヌゴ・ディン・ディエム(1961年8月4日号)、ジェネラル・モーターズ社会長フレデリック・ドナー(1962年5月18日号)、マレーシア首相トゥンク・アブドゥル・ラーマン(1963年4月12日号)である。1964年には、ニューサウスウェールズ美術館において回顧展が開かれ、1966年にナイトに叙された。1970年に死去。遺志により、遺産は、ウィリアム・ドウベル美術財団の設立に充てられた。
宮崎章00