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Dismissal of the Whitlam Government
ホイットラム政府解任
1975年11月11日のジョン・カー総督によるホイットラム首相の解任という形で起こった政治あるいは憲法上の危機のこと。未曾有のインフレに襲われた労働党政府は、閣議を通さず海外借款を調達しようとした問題に続き、労働党が過半数を握る下院と労働党以外の党が過半数を占める上院との間の行き詰まりに直面していた。上院は予算関係法案を可決する前に解散を要求したが、ホイットラム首相はこれに応じなかった。ホイットラム首相に指名されたカー総督は、バーウィック最高裁長官の助言を得て、膠着状態を打開するため、ホイットラム首相を解任するという手段に出た。また、カー総督は次選挙まで、野党党首であるマルコム・フレイザを暫定的首相として任命した。フレイザは両院解散を求め、予算関連法案は可決する。12月3日の選挙では、両院で過半数を得たフレイザ率いる自由党・地方党連合政権が成立した。
総督による首相解任という、オーストラリア史上初めての事件は、合憲か違憲か、今なお論争の的となっている。
中西雅子00