Depression of the 1890s
1890年代不況、金融恐慌
1850年代に始まったゴールドラッシュをきっかけとした好況は、その後イギリスの資本流入や政府の公共投資などによって長期間持続し、「長期ブーム」と呼ばれた。しかし、長期ブームは1880年代末に終わり、1890年からは不況に陥った。不況は1890年から1894年まで続き、金の発見によって経済発展を引き起こした西オーストラリアを除き、オーストラリア全体、特にヴィクトリアに大きな影響を与えた。
不況の影響で、住宅金融組合や土地金融会社などはもとより、発券銀行を含む多くの金融機関が倒産し、金融恐慌の状況を呈した。銀行の倒産は1893年にピークを迎えた。中央銀行が存在しなかった当時のオーストラリアでは、信用秩序を維持するのは容易ではなく、政府の対応の遅れたヴィクトリアはもっとも深刻な危機を経験した。さらに失業率も高くなった。失業率は熟練工でも25%、非熟練工ならばさらに高かったと考えられている。最も不況のひどかったヴィクトリアでは、全体の失業率は少なくとも28%を超えた。しかし、政府による福祉政策などはなく、西オーストラリアや南アフリカに移住せざるをえなくなる人々も多かった。
この不況は、社会にさまざまな影響を与えた。まず、オーストラリアの歴史上最悪の階級闘争を引き起こした。各地で大規模なストライキが繰り広げられた。さらに、ユートピア共同体計画への刺激となった。社会主義者ウィリアム・レインがパラグアイに移住してユートピアを設立しようとしたが、失敗している。
この不況の原因には、まず、当時オーストラリアの主要輸出品であった羊毛と小麦の価格が暴落し、その生産が急減したことがあげられる。これには、開拓がそれ以上進められなくなったことや過剰飼育などによる荒廃などの地理的要因と、世界市場の需要に対する生産過剰という経済的要因がある。不況の他の原因としては、海外資本、特にイギリス資本の流入の中断があげられる。ブームの時代には、イギリス資本と多数の移民が流れ込み、それを当てこんだ土地投機や住宅事業、公共投資が行われた。資本流入の中断により、これらの事業は一気に崩壊した。これらの2つの原因に加え、旱魃による被害も複合されることになった。
西オーストラリアでの金の発見、羊毛輸出から食肉輸出へといった主要産業の変化、改革によって経済は次第に回復した。しかし、1890年代中葉に始まる旱魃は、経済の完全な回復を遅らせることになり、1890年から1905年にかけて、純移民数はほぼプラス・マイナス・ゼロの水準に留まった。
山崎雅子00