Depression of the 1840s
1840年代の不況
オーストラリア最初の本格的な経済不況。不況が最悪であったのは、1841年から1843年にかけてである。ニューサウスウェールズとヴァンディーメンズランドは特に大きな打撃を受けている。破産、失業、貧困が広がり、オーストラリア銀行、シドニー・バンキング・カンパニー、ポートフィリップ銀行を含むいくつかの銀行が倒産した。歴史家たちは、不況が起こり悪化したことを説明する様々な要因を示唆してきた。それは次のようなものである。1830年代後半に、ニューサウスウェールズで起こった深刻な旱魃。海外での羊毛価格とオーストラリアでの小麦価格の低下。植民地へのイギリス資本流入の減少。限られた担保による非常に多額の借り入れ。移民に支払うために行われた(多くは公有地売却収入の減少のため余儀なくされたのだが)ニューサウスウェールズの民間銀行からの植民地政府基金の吸収。囚人輸送の停止にともなうニューサウスウェールズへの兵站部(配給)支出の減少などである。
多くの歴史家たちが、国外要因よりも国内のそれを原因として強調している。不況に対処すべく様々な試みが実行に移された。多くの立法措置によって、破産に対する寛大な条項が導入され、債務者に対する投獄も廃止された。また債務者たちは、家畜や将来刈ることのできる羊毛を貸付の担保として用いることを許された。スクオッターの中には羊を煮つめて脂をとり商品とすることで、この苦境を乗り切ろうとした者もいた。この不況は1840年代中葉まで続き、完全な回復にはゴールドラッシュを待たなければならなかった。1840年代の信用不安の後のオーストラリアの金融システムは、当時の世界としてはきわめて安定していた。1890年の金融恐慌に至るまで、オーストラリアは世界でもっとも安全な投資先のひとつとなった。
中村武司00