Deniliquin
デニリイクウィン
ニューサウスウェールズ中南部、シドニーの732キロ南西にあり、マリー川の支流であるエドワード川に面している。
人口:7,816(1996)、7,354(1981)、4,704(1954)、1,118(1871)、155(1856)。
町の名前の由来は、ウィラージューリー・アボリジナルの長であり、有名な格闘家であったデニラコーンDenilakoonであったと言われている。このウィラージューリーの人々が白人の入植以前からこの地域に居住していた。1842年にベン・ボイドがデニラコーン牧場を設置するまで、サンドヒルズと呼ばれていた。1847年にインが設置され、村がそれに続いて作られた。同年、渡し船が設置された。1848年には町の測量が行われ、1851年に土地の売却が始まった。1861年に橋が開通し、ロバートソンの土地法に続いて土地の分割が開始され、1868年に自治体となった。 また1876年にはモウアーマから民営鉄道が敷かれ、1923年にヴィクトリア政府がこれを引き継いだ。
様々な工場が建設されたが、いずれも短期間で閉鎖されており、1890年代からは小麦栽培が中心となっている。またこの地域はオーストラリア有数の灌漑地域であり、1925年に灌漑委員会の事務所が設置された。灌漑施設の発展とともに米、肉、野菜、小麦、大麦などの生産地として発展している。またペパン系のメリノ種を生み出したジョージ・ホール・ペパンGeorge Hall Peppinの故郷としても知られ、町にはペパン・ヘリテジ・センターがある。現在、オーストラリアの羊の半分以上はペパン系のメリノ羊で占められており、南アフリカ、ニュージーランド、南アメリカでも最も優勢な種類となっている。
菅原潤哉・藤川隆男0203