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Dargo
ダーゴウ
ヴィクトリア東部、メルボルンの東320キロに位置する。
人口:117(1961)、101(1933)、237(1911)、121(1871)。
地名はアボリジナルの言葉で「高い丘」という意味。白人の入植以前はガナイのアボリジナルの居住地であった。アンガス・マクミランがミッチェル川をたどり1839年にダーゴウ・ヒルに着いた。ジョン・ウィルキンソンは政府の命令で1850年にミッチェル川上流を探検し、ダーゴウとウォナンガタWonnangatta川の支流にたどり着いた。1860年には、クルックド・リヴァーで金が発見され、1863年に何千という鉱夫が押し寄せた。この時最大の入植地グラントGrantで人口は2,000人になった。1864年から1865年にかけてマクミランがダーゴウからオウミーオウの間の交通路を開拓したところ、さらに金が発見され、多くの鉱夫らが鉱山のまわりに住み着いた。1865年には、1,242人の鉱夫がおり、15のホテルがあったが、金を掘り出すのには費用がかかりすぎることがわかってきた。1870年代までは希望をもって掘り続けるものもいたが、1875年には人口は減少し、1916年にはほとんど人がいなくなってしまった。ダーゴウは鉱山までの道の途中にあり、ダーゴウ高原の夏の牧草地への通り道にもなっている。クルミの産地として知られており、ヴィクトリアのクルミの10%を生産する。
新村祐規00